究極のご供養【聖地納骨】

弊社では独自のサービスとして【聖地納骨】を行っております。

各宗派の総本山へ納骨する「本山納骨」をはじめ世界遺産や一流寺院などへの納骨供養の代行及び同行をトータルサポートする日本で唯一のオフィスです。

【聖地納骨】は古来より存在し、特に近畿地方では各宗派の本山に分骨して遺骨を納める「本山納骨」として伝統的に行われてきました。基本的に合祀型(ご遺骨を個別に分けずまとめて祀る形式)なので、それほど高額の費用は必要としません。教祖・宗祖としてこの世を生きた「仏」と共に眠りについたり、世界遺産の一部として未来永劫に大切にされるなど、究極のご供養方法です。

また、【聖地納骨】はグリーフケア(死別悲嘆からの立直り支援)という点からもご遺族さまから大変喜ばれております。

煩雑な手続きや寺院によって違う作法、お持ち込み方など、弊社が全てご対応いたしますのでお気軽にご相談下さい。各寺院との交渉、また海洋散骨や手元供養のプランも併せて、クライアント様へ最適のプランを総合的にご提案いたします。

以下2019年現在の対応箇所及び実績です。

実績

天台宗総本山「比叡山延暦寺」

延暦寺のイメージ
延暦寺

平安時代初期の僧・最澄(767年 – 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。1994年には、古都京都の文化財の一部として、(1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)ユネスコ世界文化遺産にも登録された。

最澄の開創以来、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。延暦寺は数々の名僧を輩出し、「日本仏教の母山」とも称されている。比叡山は文学作品にも数多く登場する。 

また、「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地である。 

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真言宗総本山「高野山奥之院」

高野山真言宗総本山の寺院。100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。

2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部。高野山奥の院の霊廟において現在も空海が座禅を続けているとされている。

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浄土宗総本山「知恩院」

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知恩院

知恩院(ちおんいん)は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。開基(創立者)は法然である。 

知恩院は、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が東山吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とする。

ここでの法然の布教活動は、流罪となった晩年の数年間を除き、浄土宗を開宗する43歳から生涯を閉じた80歳までの長きに渡っており、その後の浄土宗の中心地となった。

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浄土真宗本願寺派総本山「西本願寺」

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西本願寺

西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区にある仏教寺院。浄土真宗本願寺派の本山である。山号は龍谷山(りゅうこくざん)。 

本境内には桃山文化を代表する建造物や庭園が数多く残されており、平成6年(1994年)に国の史跡に指定され、同年12月にユネスコの文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されている。 

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浄土真宗大谷派総本山「東本願寺」

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東本願寺

東本願寺は、京都府京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派の本山である。

大谷派の最高規範である『真宗大谷派宗憲』には、「真宗本廟は、宗祖聖人の真影を安置する御影堂及び阿弥陀堂を中心とする聖域であって、本願寺とも称し、本派の崇敬の中心、教法宣布の根本道場である」と規定される。 

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日蓮宗総本山「久遠寺」

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久遠寺

日蓮宗の総本山(祖山)。山号は身延山。 

文永11年(1274年)、甲斐国地頭南部六郎実長が、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招き草庵を構え、国土安穏を祈念した。 

弘安4年(1281年)に日蓮によって「身延山妙法華院久遠寺」と名付けられたという。その後日蓮は旅先で入滅したが遺言に従い遺骨は身延山に祀られた。

身延山は日蓮教団における最高の聖地であると位置づけられており、日蓮の遺骨は歴代の法主(住職)により、日蓮の遺言通り今日まで護られている。 

久遠寺には数多くの歴史的経典や典籍・書籍、聖教や古文書類(身延山文書)が所蔵されている。

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曹洞宗大本山「永平寺」

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永平寺

日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。山号を吉祥山と称する。 

曹洞宗の宗祖道元は正治2年(1200年)に生まれた。仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に上り仏門に入った。その後諸国で学んだ後中国に渡り4年あまりの修行を終えて帰国した。

日本へ戻った道元は初め建仁寺に住し、のちには深草(京都市伏見区)に興聖寺を建立して説法と著述に励んだが、旧仏教勢力からの激しい迫害に遭う。 

旧仏教側の迫害を避け寛元元年(1243年)越前国志比庄に向かう。 

これが永平寺の開創であり、寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めている。 

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四国八十八ケ所巡礼の後納骨供養(特別プラン)

四国八十八ケ所巡礼の後納骨のイメージ
四国八十八ケ所巡礼

祈願・供養等の目的で、四国の弘法大師空海の霊場八十八箇所を巡り歩くことをいう。

一番札所霊山寺から順番にまわって、最後の大窪寺が八十八札所になっており、最後までまわることを結願、満願という。

八十八ケ所の霊場は人間の煩悩の数から来ているとも、男42歳、女33歳、子ども13歳という厄年の合計の数字から来ているとも言われる。

菅笠に書かれている「同行二人」の文字は、弘法大師と自分の二人旅であるという意味である。遍路でお参りを行うことは「打つ」と呼び、一番札所から順にまわることは順打ち、逆にまわるのを逆打ちと言う。

 全行程1,400kmの厳しい道のりは、昔は世捨ての旅とも言われていたが、現在はさまざまな目的で訪れる人がいる。

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総本山や世界遺産は日本人のみならず世界人類で守り抜く「人類の宝」であり、永眠の場所として最も信頼がおけることは間違いありません。 古来より宗祖を慕う信徒や、信心深い人たちにより続いてきた聖地へ納骨・散骨は現在においても最も古くそして新しいご供養方法と言えるでしょう。